私は、義母との事例を出しました。
義母と夫が言い争いになったことについて、義母から「あんたはどう思う?」と聞かれ、「私は、義母さんの言っていることもわかるし、ひろゆきさんの言っていることもわかるなあ」と言いました。
すると、義母が、「あの子の言うこともわかるって、私が悪いと言うんか!」と怒ったという話です。
この話は、先月、夫との事例でカウンセリングを受けたことに関係があります。
夫との事例は、WBCの試合のことです。
夫はWBCの裏番組を見ていました。私がWBCが見たいと言うと、切りのいいところでWBCに変えてくれましたが、夫は、WBCはダイジェストを見るのが一番よいという意見で、早く裏番組に戻そうとするのです。そこを、「大谷まで見せてほしい」と頼み、その後、裏番組に戻したのを、もう一度、「デザートを食べる間だけでも見たい」と頼みました。
しかし、夫は「見たくない」と言ったので、夫と私の意見は違う。どちらが正しいということはない。全く見せてくれなかったわけではない。取り分はとったし、「見たくない」という夫の選択に、あれこれ言わなくてもいいか、と納得しました。このできごとだけなら、カウンセリングの事例にならなかったと思います。
しかし、翌日のWBCのダイジェストで、1塁への悪送球で、ワンベースになったのを見た時のことです。
私:あっ!
夫:「あっ!」って、昨日、見たやろ
私:見てないし。見せてくれんかったやろ
私は、夫が“見せてくれんかった“と、根に持っていたのです。
そして、私が、「見せてくれんかったやろ」と言った後、夫に、「いつも譲ってくれとるから、恩返しするわ」と言って、WBCを見せてもらいたかったことがわかりました。
みんなに関わることは意見を言ったらいいと思いますが、私だけに関することは、お互い意見が違って、どっちが正しいということはないよねと思って引くことが多く、そのことも根に持っていたようです。おそろしい~
一つひとつの小さな出来事は、自分の中で納得したと思っていましたが、実は納得しておらず、時限爆弾だったのだと思いました。
「デザートを食べる間だけでも見たい」と頼んで、夫に「見たくない」と断られた後、引くのではなく、「そこをなんとか見せてほしい!お願い!」と、押すことが、非主張的な私には必要なことだと学びました。
私は、義母に対しても、あまり自分の意見を言っていませんでした。
これは、昨年受けたカウンセリングと関係あります。
夫が義母の悪口を言うので、私が介入してしまっていたのですが、夫と義母は、私が結婚する前からずっと言い合いをして暮らしているけれど、大ごとにはなっておらず、二人に任せておけばよい、この親子は大丈夫、ということを学びました。
それからは、夫の言うことは、「うんうん」と聞き、義母の言うことは、「それはひどいよね」「失礼やよね」などと聞いていました。
しかし、私の本心は、人はそれぞれ意見が違って、誰が正しいということはないということです。義母には本心を言っておらず、これも時限爆弾なのではないかと思いました。
非主張的な私のすることは、引くことではなく、押すことなのではないかと思い、最初の話に戻りますが、義母に、「あんたはどう思う?」と聞かれたとき、「私は、義母さんの言っていることもわかるし、ひろゆきさんの言っていることもわかるなあ」と言ったのです。
私が、
「私は、義母さんの言っていることもわかるし、ひろゆきさんの言っていることもわかるなあ」
と言った結果、義母に何と言ってほしかったかというと、
「そうやね。人はそれぞれ考えてることが違うよね。自分はこれが正しいって思うけど、相手もこれが正しいと思って、みんなが違うから歩み寄っていかんなんね。だから、自分だけが正しいと思って、人を怒鳴り散らしたらダメやよね」
と言ってほしかったことがわかりました。
私の大切にしている価値のプラス側は、「相手には相手の思いがあると思って歩み寄る」
価値のマイナス側は、「自分だけが正しいと思ってふるまう」
ということでした。
自分が大切にしている価値を言葉にして、あらためて見てみると、私は、義母には義母の思いがあると思って歩み寄っていなかったことに気づきました。
エピソード分析をして、時間をかけて考えていくと、そうだったと気づくのですが、現場ではすぐに忘れてしまいます。
夫とのカウンセリングで、「引くことではなく、押すこと」を学んだからといって、義母にもそれを当てはめるのは違うと思いました。夫との事例にしても、時と場合によっては、二人が仲良くなるために私ができることは違うと思います。
義母から「あんたどう思う?」と聞かれたときに、引いて、自分の思っていることを言わない方がいいのか?押して、自分の思っていることを言った方がいいのか?と考えたこと自体が、結局、義母の方を見ておらず、自分のことだけを見ていたということだと思いました。
カウンセリングを受けて学び、実践して上手くいくこともあれば、失敗することもあり、失敗したことをまた事例に出し・・・の繰り返しなのですが、仲間と一緒に学んでいけることをとても嬉しく思います。これからもずっと学んでいきたいと思っています。
H
私の娘は高校2年生です。卒業後の進路について考える時期になっています。
実際まだまだ将来のことは考えられずにいる様子の娘から相談を受けました。
娘:「ね~、お母さん聴いてくれる?」
私:「どうしたん?なんかあったん?」
娘:「学校で先生に聞かれてんけど、この先のことどうしようか迷っとるんやけど…、進学するにしても大学とか無理やし、専門学校ってなんの?って感じやし、就職するにしてもどんな仕事が自分に合っとるかわからん」
私:「そっか~、たしかにね」
「なんか好きなこととかやってみたいこととかあるん?」
娘:「絵描くのは好きやけど、それを勉強してみたいってわけではないげんてね」
「好きな時に好きなものを描くのがいいと思うから、学校で勉強して絵を描くとなんか嫌いになってしまいそう…」
私:「そうなんや~」「就職とかはどう思うん?」
娘:「就職もいいと思うけど、学校で就職先を見せてもらえて見とるげんけど、やりたい!という感じのはないげんてね」「あ~どうしよう!」「こんなん難しすぎる」
娘:「朝から夜まで毎日働く事なんて考えられん!どうしよう~」
娘の今の正直な気持ちなんだと思います。
高校生の時期には将来の夢が決まっていた私には正直経験したことのない悩みです。だからちょっとだけ「おい
おい甘いこと言ってるな~」とか「この先どうなるんやろ…」とマイナス感情が生まれることがあります。
こういう時ってどうすればいいのか?
相談してきた娘にうんうんとうなずきながら話を聴くこと以外に母として、人生の先輩としてどう勇気づけをしていけばいいのかと日々迷います。
でも今は(マイナス感情がちょっぴりでもある時は)話を聴く、それだけしかできないとも思います。
そしてプラスをみると、娘はいろいろなことを自分なりに考えて前進しようとしているんです。
「好きなもの買ったりやりたいことあったりしたら自分でお金貯めていくしかないもんね。そのためには働かんなんし」「一人暮らしもしてみたいし、海外とかも行ってみたい」「あ~なにやりたいやろ~」「自分で働いて生活とかしてしていかんなんし~」と独り言のように最近いっぱい考えている様子なのです。
アドラー心理学に出会ったおかげで子どもを信頼することやプラスの面を見ていくことを少しはできるようになったように思います。マイナス感情も前よりはずっとコントロールできるようになったように思っています。
でも最近、頭によぎるのは、これは子どもたちの課題と分離して何も言わないこと、仲良く暮らしていくために言いたいことは我慢してマイナス感情をクールダウンすることから進歩できているのだろうか…
AIJのシンポジウムや講座などに参加して、アドラー育児の目標は共同体感覚の育成だということを改めて感じさせられています。本来の目標を考えると私はそこにはまだ全然考えが及んでいないことが分かります。
娘とはいろんな話ができます。大切な話ももちろん。だからこれから一緒に生きていく大切な家族として、対等な仲間として目標に近づくためにさらにできることをしたいなと感じています。また、中1の息子とは大切な話はできていないのが現状です。できないと言った方がいいのかな。いつも目標の一致をすると断られます(笑) 大丈夫!フラットで話せる!と私は思っているけど、私の心の奥にある構えが息子には伝わっているのだろうと思います。
仲良く会話ができるで止まっている。初めはそれで満足していた自分。でもやっぱりその先に進めるように、今の現状からすこしでも進歩できるようにしたいのです。そのためには仲間に話を聴いてもらい、一緒に考えることが自分にできることだと思います。またモヤモヤ思っていることを仲間に聴いてもらいたいと思います。
そして立ち止まったままから前進したいと思います。
K