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AIJエンカレッジ金沢は、「アドラー心理学」を学んでいる自主学習グループです。アドラー先生から続く教えを宝として、人と争うのではなく、問題を話し合いで解決し、助け合って暮らすことを目標にしています。そのためにはどうすればよいのかを、仲間とともに楽しく話し合いながら学んでいます。親として、夫として妻として、職業を持つものとして、いろんな立場の人が参加しています。


by AIJエンカレッジ金沢
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日々の生活の中で、なかなかうまくいかないことはたくさんあるし、どうしても競合的になることがあります。

その時にどう対応するかは、エピソードを話してエピソードをみんなで検討していき、そこで出来ることを考え、持ち帰ってやってみる。それを幾度となく繰り返していくのですが、家族との関係は自分が変わりたい!と思って自分の行動を変えてやってみよう、構えが変わることでうまくいったり代替案を試してみることができたりするのですが、職場の同僚との関係はなかなか難しいです。

そんなことを日々感じていながら、この間、エンカレッジ金沢のメンバーでランチに行きました。

久しぶりのランチは思いつきで誘ってみたのですが、「いく~」「行ける!」と4人集まり行ってきました。ランチにしてはもう時間も遅く、お店が閉まっていたり、満席だったりとふられること4件目。

やっとご飯にありつけておいしく食べながら話は弾みました。

一緒に学んでいる仲間たちなので考え方も似ているし、とても心地よい時間でした。

そこで同僚のことを話してみました。そうするとやはりできることは必ずあって、いつも同じなのです。裁いている事柄に相手のできたところに声をかけると結局勇気づけにはならない事、平等の位置には立てない事が分かります。また、相手の優越目標に声をかけることで相手の優越目標を高めたり、助長したりすることにつながるということです。「ホントだ~」「そういうことか!」と仲間と話すことでこれまでの学びがストンと自分の中に落ちていく感じがしました。

「ありがとう」という、この言葉につい頼り、その場を平穏に終わらせてしまうことが多いのですが、その「ありがとう」も相手の優越目標を助長していたのかもしれないと改めて気づきました。声をかける際や感謝する際に相手が周りに協力しているところや貢献しているところに声をかけていくことが大切だと思います。そのために協力していること・貢献していることを具体的に言葉にしていき、その部分に「ありがとう」と言葉をかけていくことが必要なのだと思いました。そして今、私はできることを少しずつですが取り組んでいけているように思います。


こうやって食事を共にし、たわいのない話をする時間はとても大切だと感じます。そのことで自分のできることが少しだけ見えてきたり、やってみようという意欲が出てきたりします。

本格的にエピソードを出して考えていくことももちろん大切だし、今まで成長してきたのはエピソードをたくさん検討してきたからだと思います。そのことで自分の大切にしていることが分かり、いつも引っかかってしまうこともだんだんわかってきて自分を冷静に見つめ直せています。

やっぱり仲間と一緒に話をし、一緒に学んでいくことが欠かせないなと改めて感じています。

また食事会やお茶会をする機会を大切にして、さらにみんなで楽しみながら学びを深めていきたいと思っています。こんな輪が金沢でも広がっていくように私ができることをしていきたいと思っています。

これからもよろしくお願いします。


K・T


# by alfred2017 | 2024-03-01 21:16

『幼い子の子育て2011.7@大阪』を聞いて

若い世代の方が子育てが難しいと感じるのは、このお話のあった2011年から13年経った今も変わらないように思います。むしろよりその雰囲気なり社会的実態は加速しているように思います。要因については今回のお話にある内容(育児情報過多、先行きの見えない社会、個人主義の徹底)と同じかもしれないと思うと同時に、人々の暮らしに根差す競合性はより深く、強くなっているように感じます。世界に目を向ければ各地で起こる戦争やテロ、日本に目を向ければ堕落し腐敗した政治、いつの間にか活気をなくした日本の産業。一体、私たちはどこに向かっているのだろうと思います。そういう社会では必然的に人は競合的に生きるしかないように思います。人と比べて自分はどうか、人よりも劣っていてはいけない、勝たなければ、あるいはせめて負けないようにしなければという物差しを常に持ち歩いているように思います。これでは安心して子どもを産み、リラックスして子育てなどできるはずもありません。

ライブラリでは幼い子どもへの育児の大切さをかみしめながら、一方で私たちはどうやって子どもたちに未来を託していったらいいのだろう、そもそもどんな未来を描けばいいのか、それさえももはやわからなくなっているような気がしました。そういう中で新年早々にAIJ理事のみなさまによるシンポジウム『アドラー心理学の、しあわせのかたち~平等の位置~』を聞きました。シンポジウムのお話と重ね合わせながら、『幼い子の子育て』で語られている、なぜ幼い子どもの子育てで基本的安全感を養うことが必要になるのか、なぜ実現すべきは家族なのか、なぜ幼い子どもにたくさん話しかける、問いかける必要があるのか、なぜ子どもを子ども扱いしてはいけないのか、その理解が少し深まったように思います。

シンポジウムでは社会的平等(social equality)という概念に触れることができました。特に社会的平等は社会的劣等感と対をなす概念であることを知り、『幼い子の子育て』で語られていることは社会的劣等感から抜け出して、社会的平等を取り戻す、あるいは社会的平等を思い出すための出発点であり基盤であると改めて理解できたように思います。

以下、『幼い子の子育て』とシンポジウムから印象に残ったことを私なりに要約して感想を書いてみたいと思います。

①『幼い子の子育て』から

以下のような発想そのものが失われてきている。

・子どもは自然に育つ力がある、父母は自然に育てる力があると、一番、基本的なところで自信、確信を持つ。

・家族があって個人があるのであって、個人が集まって家族ができるのではない。家族が次の世代の家族を作ることが大事で、連続していくことが大事。個人はそのお手伝いをするのが本来の仕事。

おしゃべりする前の子育てについて述べられていたことは、

・この世に生まれてきてよかったな、この家族に生まれてよかったな、お父さんとお母さん大好き、私も愛されてるなという一番、基本的な住み心地のよさを体験してもらうこと。これが基礎であり、基本的安全感という。

・とにかく子どもをかわいがる。

・子ども扱いしないでたくさん話をして、問いかけて賢い子を育てる。

賢いとは言葉が上手に使えること。言葉が上手に使えれば、上手に自分のことを表現でき、上手に相手の言っていることを理解できる。

・これから先の我々の生活がよくなるかならないかは、人々がちゃんと言葉を使えるかどうかにかかっている。

ライブラリの最後に、

・結局、アドラー心理学は未来の人類を作ろうとしている。一人でも多くの子どもが平和に協力して、みんなを尊敬して貢献して暮らせる社会を作っていかないといけない。

・人間には心の中に良識というものがある。適切に問いかけていけば、必ず教育的に心の中にある良識を引っ張り出すことができる。

・こういう育児なり教育ができるためには、親とか教師が、アドラー心理学の一番、根本にある思想、方向性を、アドラーが願ったことをはっきりと了解、納得しておく必要がある。

②シンポジウム『social equalityという考え方』(大竹優子先生のお話)から

・社会的平等(socialequality)という言葉は社会的劣等感(social inferiority)と対をなす言葉。

・社会的平等というのが、人はみんな、価値において平等という考え方だとすれば、社会的劣等感というのは、自分は人に比べて、価値が低いという感じをいうことになる。

・自分自身の中にある社会的劣等感が、平等を感じることを妨げている。社会的劣等感は、すべての人間が尊厳と自尊心を持って、社会に参加することを妨げる。人と人は対立して、どちらが価値が上か下かを争うことになる。それが個人と個人の間だけではなくて、そういう人が増えると社会全体が競合的になる。そこから様々な差別や偏見が出てきて社会問題につながる。個人のケンカとか国や地域の戦争もそういう意味で構造は似ている。環境が人間をつくり、人間が環境をつくるから、個人の問題は個人の問題に留まらず、社会の雰囲気をつくっていくし、また社会の雰囲気は個人に影響を及ぼす。今、社会で起きていることはまさにこういうことではないか。

・人はみんな違っているけれど、価値は平等、みんな、かけがえのない存在なんだと考えるとドライカースや野田先生が言ったように、日常生活で誰であっても相手の人を一人の人として信頼し、尊敬し、対等な人間として向き合うことができるように思う。そうすることは自分が劣等の位置に陥ったときも、平等の位置に戻る手掛かりになりそうに思う。劣等の位置に陥ったときは、自分は価値が少ない存在なんだと思ってしまうが、でもそれは仮想。私だけ価値が低いわけではない、相手の価値が高いわけでもない、本当はみんな違っているけれど、価値は平等で対等な存在なんだと、と思い出すことができる。

人間は社会的劣等感を抱くことによって、競合し、優越の位置に立たなければ失敗者だと恐れる生き物のようです。本来は、人は人間としての尊厳と価値において平等、つまり社会的平等であるはずなのに。でもこの社会的平等の感覚は生まれたときはまさにそうであったはずです。でもある日、何かしらできない、これではいけないと思い込んで、優越の方向に舵を切ります。人間である限り、これは避けて通れないと思います。でもこの延長線上には人と人が協力して平和に暮らす世界はありません。人は真に平等であるという感覚を思い出して、平等の位置を取り戻す必要があります。そういう社会的平等の基盤となる感覚を養う、あるいはその手掛かりとなるのが幼い時期の子育ての在り方なのだろうと思います。まだ言葉の出ない子どもは親がたくさんかわいがって、たくさん語りかけて、この世はいいところだ、お父さんもお母さんも周りの人々は信頼できる人だという基本的安全感を養い、さらに言葉が出るようになったらたくさん問いかけて子ども自身に考えてもらい賢い子どもを育てていく、そういうことそのものが社会的平等を体得していくことに繋がるのだろうと思います。まさに親と子は対等で平等な関係だと思います。そして、これから先の我々の生活がよくなるかならないかは、人々がちゃんと言葉を使えるかどうかにかかっている、つまり社会的平等が実現できるかどうかは言葉の力だということだと思います。いかに幼い時期に、親が子どもを子ども扱いしないで話かけること、問いかけることが大切なことかと思います。

また同じシンポジウムで野田文子さんが『アドラー心理学は苦行か』の中で、

・劣等の位置から優越の位置へという動線は、平等の位置が見つかると消滅する。

・一人の人間が世界の平和を実現することは不可能かもしれないが、家族の中で、平等の位置を取り戻すことはできる。ミクロな共同体感覚を培っていくことは誰でもできる。

というようなことをお話されました。

一人の人間が世界平和を実現することは達成不可能な目標だが、家族、あるいは自分が所属している集団の中では、現場、現場での社会的平等を取り戻すことはできる、劣等から優越への動線は消せる、ということだと思います。家族は一人の人間の手の届くところにある一番、小さな共同体だと思います。この共同体は世界に組み込まれて存在します。小さな共同体であっても世界に組み込まれているのですから、よくも悪くも必ずそのまわりの世界に影響を及ぼします。家族が社会的平等を培っていく場として機能すれば、いつかその延長線上に社会的平等を取り戻したより大きな共同体があるように思います。家族がいかに大事な役割を担っているか、そしてそういう家族を相続していくことがいかに大切か、改めて痛感しました。

優子先生のお話の最後に、

エヴァ・ドライカース先生の言葉として“アドラー心理学は目標思考型心理学であり、常に未来志向です。私たちは時間に向かって前進する方向に進んでいます。私たちが今、うまくいくと思う解決策は未来をも守るものでなければならないのです。”

さらにイヴォンヌ先生の言葉として“世界はますますアドレリアンの智慧を必要としています”

を紹介されました。

このお話から自助グループについて少し触れたいと思います。自助グループにはアドレリアンの智慧がある!と思います。ミクロな共同体感覚を思い出し、育成していく最前線にある場が各地の自助グループだと思います。ここではパセージに加えてパセージ・プラス、エピソード分析等を用いて、無意識的目標の洞察と再決断というアドラー心理学固有の援助が行われていると思います。そこでは自分の現場での社会的平等の具体的なあり様、そこに至る方法が見つかると思います。人はこうやってミクロな世界で自分の周りの人と協力し貢献して生きていく、それを一つ、また一つと積み重ねていくしかないのだと改めて思いました。つまりよりよい未来に向かって、アドレリアンの智慧を活かして、その方向に歩き続けることに意味があるのだろうと思います。その歩みは未来を守る!に繋がると信じます。

それにしてもそもそも人は子育てにおいて初めから劣等の位置に落ちているんだなと思いました。私自身は確かにそうでした。子どもには自然に育つ力があるとか、親になった私には育てる力が本来あると思えていなかったように思います。頼るのは育児書であったり、保健師さんや小児科の先生のアドバイスでした。そして何がよい子育てなのかもわからないまま、よい子育てをしよう、よい親でいようともがいていたように思います。なので必然的にアドラー心理学に出会ったのですが。やはりアドラー心理学の果たす役割は大きいと思います。一体、どんな未来を子どもたちに手渡していけばいいのかと嘆く暇があれば、自分にできることをしようと思います。

MT


# by alfred2017 | 2024-01-29 21:05
2024年パセージ@金沢の開催が決定しました!
残席まだあります!
勇気づけに満ちた子育て方法を学んで、新しい1年をスタートしてみませんか?
参加を迷われている方は是非一度お問合せください。
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# by alfred2017 | 2023-12-14 20:53

AIJエンカレッジ金沢では、ライブラリ勉強会始めてもう3年以上経ちました月に一度ライブラリ参加者で決めた野田俊作ライブラリを聴き、感想や意見を資料にまとめて持ち寄り、シェアリングをするという勉強会です。今月は野田俊作ライブラリ「生きる意味@大阪」を聴き、勉強会を行いました。

 

生きる意味というライブラリは、「これはみんなにとってどういうことだろう。みんなのために私はなにをすればいいだろう。」と考えて、生命や財産や自由を犠牲にしてでも守るべき価値とは何かについて考えるというお話でした。

 

私はちょうど沖縄修学旅行の引率中で、移動中の時間にこのライブラリを繰り返し聴いていました。

美ら海水族館へ行ったり、マリン体験をしたり、国際通りを散策したり…と、「楽しい沖縄」を思い切り満喫しました。

 

「修学」旅行なので、平和記念公園ひめゆりの塔も訪れました。ひめゆりの塔の資料館では、映像ではありますが、実際にひめゆり学徒隊だった方のお話を聞くことができました。生徒達も全員真剣に話を聞いていました。志高くこれからの日本の国のこと、教育のことを考えていた教師と生徒が、生存ギリギリの状態で献身的に国のために生きていたこと。戦況が悪くなり、学徒隊を解散することになっても誰一人として自分のために逃げ出さなかったこと。それなのに悲惨な状況で多くの若い命が終えることになってしまたこと。知識として大体知ってはいたものの、まさにその場で起きたあり得ない惨状理屈抜きで衝撃を受けました。その後、あまりにも悲惨な事実気が遠くなるような不思議な思いで、資料館を見学しました。

 

私達は78年前に悲惨な戦争起こっていたまさにその地を訪れました。一見何もなかったかのように住宅が建てられ、人々は暮らしていま。ひめゆりの塔のすぐそばにはお土産屋さんがあり、観光客でにぎわっていましたすぐそばの食堂で団体客として食事をしていた私達は、「好きじゃない、食べられない、次の行く先で食べたいものがある…」と、与えられた食事を残します。沖縄戦の激戦が繰り広げられた場所でいつまでも神妙な気持ちで生活する必要はないと思いますが、生きた時代や場所が違うだけで、この違いは一体何だろうと思いました

 

みんなにとってどういうことだろう。みんなのために私はなにをすればいいだろう。と考えることを大切にするよう日々修行中なのですが…今回のライブラリの中で、みんなは今のみんなではない。みんなは未来のみんな、過去のみんな。とありました。頭で意味は理解しても、実際に自分はどう生かしていけばいいのだろうと、今は、ぶら下げて暮らしています。

 

みんなのために生き抜いたひめゆり学徒隊の命は、時代を超えてどのように現在の私とつながっているのか。

私たちの未来とどうつながっていくのか。現代の私たちは、今回のライブラリの問いかけである生命や財産や自由を犠牲にしてでも守るべき価値どれくらい分かっているのか。

 

今、世界では戦争や争いごとが起こり、新たに戦争が起きる兆しもあります。

人はもう少し賢くならなければならないと思います。

もう少し人間として「成長」しなければならないと思います。

 

私は野田先生から沢山の教えを学びました。ライブラリを聴い教えの背景が分かることで、本当の価値が少しつ分かってきたような気がしています。これからもしっかりと学んでいきたいと思います。


美紀子



# by alfred2017 | 2023-11-30 19:08

11月例会報告

先日の例会では、11月4日・5日に開催された『勇気づけ』講座で行ったブレイクスルークエスチョンズを使って事例を考えていきました。
事例は、職場での話。
私がAさんに「先日からの課題ってどうなりました?」と尋ねると、Aさんは「ああ、あれですか。私のところでは無理ですね」とバッサリ。「いやいや、そこをどうにか工夫できないかって話なんだけど」と言いましたが、Aさんは無理だという主張を続けます。「うーん、まぁ、まだ時間があるからちょっと検討してみて」とお願いをした、というものです。
まず、メンバーさんと一緒に『Aさんの良いところ、良い意図』を考えていきました。
私は、Aさんの良いところは、仕事は一人できっちりこなせている、きれい好き、大概のことは安心して任せられる、を挙げました。メンバーさんから「Aさんて責任感のある方ですね」と言われ、続けて「自信もある方ですか?」と聞かれました。
この時私は、Aさんは確かに責任感のある人だ、でも自信があるって感じでもないな、、、と頭の中でAさんを思い浮かべていました。

次に『Aさんに伝えたいことは何か』を考えます。
伝えたいのは、0か100かでバッサリじゃなくて、もう少し真ん中あたりの解決策が出せないか一緒に考えてほしいということです。

『そのためにできること』は?
Aさんに伝えたいことをそのまま伝えてみるのはどうか、となりました。おそらく事例の場面では伝わっていなくて、むしろAさんは私に責められていると感じているのかもしれないとわかりました。
私は、Aさんは自信があるということではなく、課題についてどう対処しようか困っていたのかもしれない、ベテランさんであるがゆえになんでも一人で解決しなくちゃいけないと思い込んでいるのかもしれないと思いました。そこで「Aさんが困っていることを一緒に考えていきたい」と伝えようと思いました。

翌日、Aさんに「課題はその後どう?Aさんがどのあたりで困っているか教えてもらえる?私も一緒に考えたいと思うんだけど」と伝えると、「私もあれからいろいろ考えているんですけど、ここが、、、」と話してくれ、それから一緒に作業をして解決することができました。
Aさんはやれることがわかれば後はてきぱきと進めていかれます。Aさんの良いところは責任感が強いところ。実は私にはすぐに浮かべられなかったところだけど、メンバーさんが一緒に考えてくれたおかげで、本当にここが素敵なところだと思い、尊敬の気持ちも増していきました。
「勇気づけ」の講座でも学んだことですが、出来事の意味づけが変わると自分の行動も変わります。本当にそうだなとつくづく思います。協力的な構えで相手を勇気づけていけるように頑張っていきたいと思います。

A.Y

# by alfred2017 | 2023-11-19 14:20